マンガ「ハイスコアガール」

じつは3巻が出たばかりの頃に、ヴィレッジヴァンガード倉敷店でたまたま気になって手に取ったこのマンガ。1巻を読んだ勢いで大人買いしてしまったほどの衝撃を受けた。

思い出すのは30年程前、ゲームをモチーフにしたマンガがあった。そう「ゲームセンターあらし」(1978-1983)だ。ゲームで言えば、インベーダーやギャラクシアンなどの時代。当時のゲームはドット絵の記号的な世界観で、それを補完するコンテンツが必要だった。そんな需要と合致したのがこの作品だった。また、この時代には、ファミ通のようなゲーム雑誌や攻略本などの雑誌がなかったこともあり、コロコロコミックに連載されていたこのマンガが、実質その機能*1 を果たすことになった。以降の「ファミコンロッキー」や「ファミコン風雲児」などがそれにあたるだろう。

しかし、その機能もファミコンの登場(1983)とともに、ファミ通のようなゲーム雑誌や攻略本がビジネスとしてセットで運用し始め、攻略テクニック中心のゲームマンガというジャンル自体があまり意味をなさなくなった。そして、ビジネスとして成立させるために、ゲームはストーリーや世界観の奥行きを出すことによって付加価値を高める方向に。

一方、ゲーセンでの口コミの時代で、ある意味情報がないぶん「ドルアーガの塔」のようなゲームがちゃんと成立できていて、メーカーと情報誌が情報をコントロールできていた時代だった。

そのファミコンブームも80年後半まで続き、90年にはスーパーファミコンが登場することになる。この頃には、パソコン通信による情報のやり取りが行われ始め、徐々に攻略本ビジネスが斜陽になっていく傾向が見え始める。そのパソコン通信を介しての情報のやりとりが、一部で噂になっていた口コミの全国への拡散と共に不正確な情報の伝言ゲームにより形成される都市伝説というものが誕生した。そんな時代。

このマンガは、そのあたりからの格闘ゲーム(以下、格ゲー)ブームを舞台にしている。具体的には、ストリートファイターII(1991)~バーチャファイター2(1994)のその熱い時代の空気感を共有していた方が読むべき物語なのだ!(当時、格ゲーのメッカ、「新宿スポット21」に行ったことがある!人とかね)というのも、その頃のムーブメントの本質を語った優良なコンテンツが少ない*2 こともあって、「あの時代は何だったのだろうか?」というノスタルジーを引きずっている人々は少なくないのではなかろうかと思う。このマンガ、そのひとつの答えともいえる。

基本、時代背景と共にゲームやゲーセンのあるあるネタで構成され、その細かいディティールを積み重ねていく手法だ。それらは、それを体験してきた人にとって、じつに活き活きとしたリアルな共感を生む表現となっている。

さらにこのマンガの特筆すべき点は、それを恋愛ドラマベースで語っていること。本来の物語性であれば、「男と男の真剣勝負」となるところを、相手を女子にしてゲームを通した戦友という距離感で、友だちと恋人との距離感とはちょっと違った人間関係を構成している。恋愛という理解できない異性に対しての駆け引きと、難しいゲームの攻略といった感覚を重ねてともすれば薄っぺらい青春ものに成り下がってしまいそうなテーマを、個性的なキャラクターとその人間関係によって成立させていると思う。

主人公はゲームの事しか頭に無いようなゲームバカ男子。それゆえゲームに対する異常な執念と愛情を持っている。そしてゲームのものすごくうまい女子。それが主人公のライバルとなるヒロインの女子。その女子はほとんど喋らない。主人公の男子は状況を説明しながら独白するスタイル。この時点で、読者は、この謎の女子に主人公目線で自然とファンタジーをいだいてしまうという構造になっている。具体的に言えば、自分よりうまいその子のゲームの腕に対するあこがれとか、ゲームに向かう真摯な姿勢への尊敬などがそれである。さらに、主人公男子へ片思いする女子が登場。こちらは、自分や主人公のことを完全に客観視する視点で狂言回しとして話を動かしていく。形式的には主人公との三角関係で、前者との「女と女の真剣勝負」へと向かうような感じである。

この、「ゲーセンノスタルジー恋愛ファンタジーコミック」も、現実の時間軸にそっている以上、格ゲーブームが終わるとともに物語の終焉を迎えるはずだ。終わりが分かるだけに、切ないノスタルジーを感じてしまう。最終巻になるのだろうか? 次の5巻、とても楽しみです。*3

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*1:実際には実現できる攻略テクニックは少ない

*2: 「トウキョウヘッド19931995」 大塚 ギチ【著】/アスキー出版局【編】

*3:まさかの問題発生『ハイスコアガール』にSNKプレイモアがキビシイ理由